第二帝政の時代に、セーヌ県知事オスマンによって、パリが大改造されたのだが、それ以前を「本物」のパリだ、と言う人がいる。
それ以前のパリは、汚れ、暗さ、臭さ、狭い、暗い、行き止まり、そしてまるで迷路だったと言うのだ。 確かに下水と言うものもなく、路面中央の溝に、雨水があって初めて汚物が流れるような路地だから、それはそれは鼻を突く匂いだったろう。 パレ・ロワイヤルやルーブル宮殿まで入り込んでいた木製のバラックや掘立小屋が建てられていた。 しかしそれが単に貧民街ではなく、道化師や軽業師といった芸人たちもいて、始終見世物の場所でもあった。
と、ここまでくると、それは時代のなせる業であって、それが「本物」だとかは一概に言えないのではないかと思うのだ。