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2024年 03月 19日
ユーラシア大陸という名称は、地理の教科書に出てくるので昔から馴染みのものだった。
フランス語を初めてヨーロッパ Europe の発音が「ユーロップ」ということを知り、アジア Asie の発音「アジー」がつながった。 Europe + Asie から Eurasie 「ユーラシア」という合成語ができた。「ユーラシア大陸」という名称の謎が解けた気がした。 ところで、「ヨーロッパ」と「アジア」はそれぞれフェニキア語でエーゲ海の西を意味する Ereb と西を東を意味する Assou を語源とするらしい (Wikipédia)。その後ギリシャ語を経て現在のフランス語 Europe と Asie になった。 「ユーラシア」という語については19世紀中頃、イギリスでインド人とヨーロッパ人の間に生まれた人のことを指す言葉として使われるようになった。フランスではインドではなく東南アジア(インドシナ)として使われるようになったらしい。 地理学的に一つの大陸としての意味では19世紀後半に使われるようになったが、一般的に使われるようになったのは20世紀になってからのことのようである。ただ日本での使われ方とは若干異なっている。 Wikipédia フランス版で Continent を調べると、アジアとヨーロッパを一つにして「ユーラシア大陸」として6大陸と表記するのは日本とロシアで使われているだけで、フランスでは「南北アメリカ」「ヨーロッパ」「アフリカ」「アジア」「オセアニア」「南極」の6大陸としているようだ。 Le Petit Robert には continent の語義のところに用例として Les cinq continents sont traditionnellement l'Europe, l'Asie, l'Afrique, l'Amérique et l'Océanie.とある。また eurasiatique には初出は1930年とあり、地理学の用例として Continent eurasiatique が出ている。eurasien の語源は英語の eurasian で初出は1865年とある。 Petit Larousse には「五大陸」とか「六大陸」という記述はなく、「旧大陸」Ancien continent、「新大陸」Nouveau continent という用例が出てくる。図版では明確にウラル山脈でヨーロッパとアジアを区別している。 それよりも、フランス人にとって continent という語は島国であるイギリスと比較しての大陸の「ヨーロッパ」という意味合いも強い。Le Petit Robert ではこの語義での初出は1665年とある。 MH #
by georges2412
| 2024-03-19 08:45
| 海外の話題 フランスの話題 旅行の話
2024年 03月 16日
名古屋フランス音楽研究会の公演で、フランスの作曲家ジョルジュ・オーリック Geroges Auric (1899-1983)の「木管三重奏曲」という珍しい曲を聴かせてもらった。
この作曲家は主に20世紀前半に活躍した「フランス6人組」の中の一人として知られている。 この三重奏はバッソン basson(ファゴットのフランス版)、オーボエ haubois、クラリネット clarinette によるもので、初めて聴く曲だった。出だしからいかにもフランスという響きがする。 「この作曲家はあの有名な映画「ローマの休日」(1953) の音楽を書いた人です」と曲が終わった後で説明があった。 びっくりして家に戻って録画してある「ローマの休日」を見てみたら、確かに、冒頭のクレジットの最後の方に「音楽はジョルジュ・オーリック」と出ている。 舞踏会の音楽も軽やかなワルツなのだが、ストーリーの展開やゴレゴリー・ペック、オードリー・ヘップバーンの演技に気を取られて誰の曲かということは今まで気にしたこともなかった。 20世紀中頃のフランス映画にはアメリカのジャズが多く使われていたことはよく知られている。しかし、アメリカで作られたあの映画にフランスの作曲家が音楽をつけていたということ、それは私にとっての驚きの発見だった。 今度は「ローマの休日」を音楽に注意して見てみよう。 MH #
by georges2412
| 2024-03-16 10:07
| 海外の話題 フランスの話題 旅行の話
2024年 03月 13日
今はユーロが流通していますが、以前、フランスは2002年2月まではフランが通貨として使われていました。
1981年から2002年まで、20F紙幣には Debussy が使われていました。 この紙幣は1990年代後半、フランス滞在中に手に入れたものです。ユーロに切り替えがすむと目にすることがなくなると思い、使わずに保存しておいたものです。 この時代、50フランにはサンテクジュペリ Saint-Éxupéry が使われていました。これもシワのないものが手元にあります。 MH #
by georges2412
| 2024-03-13 09:53
| 海外の話題 フランスの話題 旅行の話
2024年 03月 12日
17世紀に活躍した音楽家リュリ Jean-Baptiste Lully はイタリアのフィレンツェで Giovannni Battista Lulli として1632年に生まれています。1646年頃にフランスに移り、モンパンシエ侯爵夫人 duchesse de Montpensier に仕えることになります。侯爵夫人は小さな楽団を持っていて、そで彼はバイオリン、クラヴサンそして作曲技法を習得したようです。1650年代になると宮廷バレエの作曲も手がけ、ルイ14世に気に入られ、1659年には宮廷つき作曲家となります。
写真は Revue musicale, double numéro 398-399 表紙 1661年にフランスに帰化し、名前をフランス式に Jean-Baptiste Lully とあらためます。1664年以降、リュリは当時人気の出始めた劇作家モリエール Molière と一緒に多くのコメディー・バレエ comédie-ballet を世に出します。その代表作が1670年の『町人貴族』Les Bourgeois gentilhommes です。 写真は Comédie Française Bibliothèque 所蔵のもの(同雑誌、80ページ) ルイ14世の寵愛を受けたリュリは、1669年オペラ・アカデミー Académie d'Opéra の権利を獲得し、劇場での音楽の演奏権利を独占します。リュリ以外の音楽家を劇に立ち合わせることができるのは数名に限られることになります。そのことで1672年にはモリエールと仲違いし、キノー Philippe Quinault と手を組んでオペラを作曲することになります。(モリエールの最後の作品『気で病む男』Le Malade imaginaire はシャルパンティエ Marc-Antoine Charpentier が音楽をつけています) モリエールは1673年に亡くなり、その後も彼は音楽の独占権を利用してオペラを数多く世に出します。 1681年には国王の秘書官となります。 彼の独占権があるため、同時代の他の音楽家には不遇の時代となってしまいます。フランス・バロック音楽を代表するクープラン François Couperin やラモー Jean-Philippe Rameau はリュリの亡くなった後に活躍します。 しかし、敬虔なマントノン夫人 Madame de Maintenon の影響を受けるようになった国王は、彼の性癖 (bisexuel) を問題視し、彼との距離をおくようになります。さらに、1685年には、リュリはスキャンダルな事件まで起こしてしまいます。 1687年には国王の病の回復を願う「テ・デウム」Te Deum の上演準備の最中、奏者への怒りのあまり、指揮杖(当時は指揮棒ではなく、杖で床を叩いてリズムを取っていた)を打ち下ろした時、誤って足の爪を強打し、その傷が原因で壊疽菌が全身に回り、1687年3月22日に亡くなりました。 MH
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by georges2412
| 2024-03-12 08:15
| 海外の話題 フランスの話題 旅行の話
2024年 03月 11日
フランス語の発音で面倒なことの一つにリエゾンがあります。
リエゾンはするのかしないのか、しなければならないのか、してはならないのか、など、とまどいます。 単純化すると、冠詞と名詞の間は必ずしなければなりません。(les enfantsなど。) 主語の代名詞と動詞の間もそうです。(nous avos とか vous êtes など。) 形容詞と名詞の語順の場合は必ずしますが、名詞と形容詞の場合はリエゾンすることは一部を除いてありません。(anciens élèves「卒業生」など) 最近、テレビのフランス語講座「しあわせ気分のフランス旅」という番組を見ていたら、On est arrivé という表現でリエゾンしていない場面に出会いました。「オネタリヴェ」と発音することが多かった記憶がありますが、そこでは「オネ・アリヴェ」と発音していました。 また。c'est un jean...も「セ・アンジーン」と聞こえてきました。 かつて pas encore は「パザンコール」ではなく「パ・アンコール」という人が増えてきたということを聞いたことがありました。 フランスのテレビドラマを見ていても、リエゾンは少なくなっているような印象があります。(言葉が速すぎてなかなか聞きてれませんが) 最近では、してもしなくても良い場合にはリエゾンは減る傾向にあるようです。 Dictéeの場合、リエゾンがあるので書取りに苦労する場合もありましたが、リエゾンが減るとその苦労は少し軽減されそうです。 (リエゾンがあると単数と複数の区別がわかりやすくなるとか単語の最後の読まれない子音が明確になるという別の利点もありましたが。) MH
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by georges2412
| 2024-03-11 09:00
| 海外の話題 フランスの話題 旅行の話
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