SNCFのモンパルナス駅とその東側のモンパルナス墓地の間に ゲテ通り という細い通りがある。 この通りには妙にお店、特に飲食店が多い。
そもそもモンパルナス墓地の近くにどうしてこんな繁華街ができるたたかだが。
「徴税請負人の壁」と言うのがあって、そこに市門ができた。 市門と言うのはここを通ってパリ市内に持ち込まれるワインや食料に対して課税をした。
そうなるとその市門の外なら税金はかからないので、その先に非課税の酒が安く飲める場所ができた。 それがこのゲテ通りができた理由だ。
ところで18世紀の終わりころまで、今のポンピドーセンターがある場所の近くにイノサン墓地があった。
パリの町がまだ小さかったころ、死者は皆この墓地に埋葬した。 埋葬した、と言うよりも、死体を放り込んだのだ。
それが溜まりにたまってもやは飽和状態だった。
そこでパリ市当局は、城壁の外に、非宗教的な大きな墓地を造ることに明日。
それが東墓地(ペール=ラシェーズ)、北墓地(モンマルトル)、南墓地(モンパルナス)だ。
その一つ、モンパルナス墓地はゲテ通り繁華街の成立の後からできたのだ。