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2006年 12月 30日
la Saint-Sylvestre(サン・シルヴェストル)
第33代ローマ教皇、シルヴェストル1世(在位314~335年)ラテン語ではシルヴェステル。 ディオクレティアヌス帝の死後、313年に皇帝となったコンスタンティヌス帝は、実際は臨終間際にキリスト教の洗礼をうけただけだが、最初の司教国際公会議(313年ローマ、314年アルル)と有名なニカイア公会議(325年)を開いたローマ皇帝で、このころにはキリスト教はすでにローマ帝国の中で一大勢力になっていたので、これを政治的に利用しようとした、というのが本当のようだ。ともかくキリスト教を公認したミラノ勅令という歴史上の名は有名。 ニカイア公会議ではアリウス派の説が検討された。アリウスはアレキサンドリアの主教で、イエスは神によって選ばれた者であるが神とは本性を異にすると主張した。 このときアリウス派は異端とされ、カトリック教会はイエスの神性が天の父のものと本質的に同一であるという教義を確立した。 この公会議にシルヴェストルは参加していない。 こうしてキリスト教は迫害されなくなったが、皇帝に牛耳られ、支配の道具にされていった。 ところが、コンスタンティヌス帝はビザンティンに帝国の首都を移すことを決定した。 330年コンスタンティノープルへの遷都となった。 ローマ皇帝がローマを去ってしまった後、ローマ司教は名実共にその権威を手にすることになる。 そのときの司教がシルヴェストル1世だ。 ローマ帝国の歴史の中では非常に重要なエポックにいた司教と言える。 そのシルヴェストル1世が亡くなったのが335年12月31日。 新年を迎える晩餐の際に彼を偲ぼうというところから、この日がサン・シルヴェストルと呼ばれている。
by georges2412
| 2006-12-30 19:03
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