ル・フィガロ 5月12日の記事から
土曜日の昼過ぎ、東駅のすぐ近くの繊維倉庫(この写真は一見アパルトマンのようだが)が火災を起こした。 幸い犠牲者はでなかったが消火までに18時間もかかる大火災であった。 警察によるとこの建物に住む未成年者が引き起こしたもので、さらにその訳は、タオルに火がついてしまい、あわてて窓から下の庭に投げ捨てたのだが、それが一階の繊維倉庫に飛び火して大火災となったもの。 250人の消防士と52台の消防車、19本のホースが使われた。
Le boulevard de Magenta マジェンタ大通りは1855年、セーヌ県知事オスマンによって貫通させた通りで、 1859年 place de la République と rue du faubourg Saint-Martin. の間で完成された。
このマジェンタという名前だが、ピエモンテ-サルデニア王国によってもたらされた勝利による。
それはマクマホン将軍とナポレオン3世が命じた1859年のオーストリア戦での勝利が、イタリアのマジェンタの近くだったことによる。