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2007年 05月 15日
マルセイユの観光産業への賭け 5月15日付け フィガロから。
ギリシャの植民市、フォカイア(マルセイユ)は唯の通過港ではなくて、全く別の形で観光地となろうとしている。 <1990年のころはマルセイユに4ツ星ホテルをオープンさせようなんて考えてもみなかったことだ> とエルゴ・グループの社長ジョルジュ・アントンは語る。<街はまるでどん底の中にあったようなもので、2つ星3つ星ホテルでさえ状況は全くダメで、どのカテゴリーにいても苦しいばかりだった> ところが一年前ある男が旧港のすぐ近くに4星ホテルをオープンさせた。 それが彼だけではなくて、いくつかのかなり有名なホテルグループがその数ヵ月後に目をつけ始めた。 数週間前にはラディッソン(4星) 189 室が旧港へ、そしてこの9月までにコンコルドグループのヴィラ・マッサリア(4星) 140室が町の南側にオープンする。 さらにはインターコンチネンタルが 2010年にまさに豪華宮殿 194 室を旧港の真上にオープンさせる。 そしてマリオットグループも同じような計画がある。 « われわれはコート・ダ・ジュールのような海水浴客の町と競争する気は無い、と市観光局のディレクター、マキシム・ティソ氏は語る。 われわれのモデルはむしろバルセロナに近いだろう » 実際, いわば相対的な無気力状態だったころから50年後の今、観光業の側からすると、この10年で劇的な増加を生み出した。 ガストン・デフェールという”教皇”の1956年から83年までの長い治世の中でやっと、誰もがみな<観光業こそが貧しい町にとってとても有効で、発展させるべき産業がなければなおさらだ>と気付いたのだ。 20年後、”歴史的”な市長の死後、風向きが確かに変わった。 マルセイユが成功するためには暑いという自然の恩恵や陽気さを保ちながらそれらを受け入れて良くしていくという努力。大変な進化が始まった。 1995年から街の改造が始まった。 この時期はマルセイユ商工会議所が港の整備に取りかかった。 船による航海好きの人たちのための港である。 また、マルセイユは早々と客船の乗降港としてだんだんその価値が上がってきたのだ。 さらに10年後、街は海からの客のを拾い上げ、2006には, 380 000人の航海客がマルセイユに停泊。 2010年の水準は100万人までいくであろうとされている。 新しい海の駅や航海のターミナルがすでに予定されているし、たとえば Les Terrasses du Port や, 40 000m2 の商業施設を含むコマーシャルゾーン、キャフェ、フィットネス、プールビーチサッカーの施設が造られる。 5月19日には Costa Croisières がオープンし、 le Costa Serena, や Disney Cruise,などがマルセイユに停泊することになっている。 また第二のサクセスストーリーとしては、1998年には2つのメジャーイベントがあった。 まずひとつはサッカーの世界選手権、これはジダディーヌ・ジダンの幼年期の街であり、第二にTGVがパリとの間を3時間で結ぶ、という時代になった。 結果、旅行客の増加に及んで、作家や芸術家がスローだが街のイメージを変えてくれた。 まさに長い間、”フランスのシカゴ”と言われてきたのであったところだ。 そこからマルセイユは”ロマンの羽の下” (Jean-Claude Izzo), シネアストのカメラ (Robert Guédiguian)とか言われるようになり、マルセイユはまさに « 本物の »デスティネーションとまでになった。 その証拠として : ビジネスツーリズムの発展、つまり300以上の会議・セミナー・企業のコンベンションなどを誘致した。 それは1995年には65,000人だったが、2005年には195,000人となり、今後医学会、法曹界、企業の主だった人たちの会議誘致にのりだしている。 さらにこうした状況にあわせて、マルセイユープロバンス空港は2006年10月オープンさせたローコスト航空会社のターミナルにより、140,000人の旅客が見込まれており、一方こうした格安航空券で来るお客が果たして安い旅行ばかりを好むかというとそうでもなくて、より高級なホテルに滞在しようとする傾向が見られる、とソフィテル・ヴュー・ポールのシルヴィー・ムルジュ氏は言う。 たとえば北ヨーロッパのイギリス・スコットランド・アイルランド・フィンランド、さらにロシア・アメリカなどのお客が訪れる。 そして4つ星浦tるは年間通して70%の旅客占有率だ。 先にも書いたように、金持ちのゲットー、コンクリートのマリーナ、そして法外な金額、と言えるコート・だジュールとは一線を画して、やがて来る2013年には<ヨーロッパの文化都市>をめざして建設を進める、としている。
by georges2412
| 2007-05-15 20:35
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